巨人の肩の上に立つ
先日拝見したとあるツイートから、n番煎じだとは思いますがこのタイトルでブログを書こうと思いました。
ツイート主様にコンタクトをとっていないので引用は控えますが、学問っていうのは積み重ねであって斬新な発想とか簡単に期待しないでほしい、といった内容でした。
これ本当に間違いなくて、インパクトの強い新規性のある研究というものがいかに難しいかは研究者の皆様に置かれては言うまでもない周知の事実と思われます。
じゃあ新しく発表される論文に新規性がないのかっていうとそれは違います。この場合問題となるのは、新規性という言葉に対して抱く感覚が世間と研究者界隈とでずれている可能性があることです。
新規性って何?
例えば、「中国人を対象に行った治療法A対Bの成績比較では治療法Aがより優秀だった」という先行研究があったとします。
日本人ではどうなんだろうと調べたところ、同じくAの方が優秀だったと分かったとします。これも立派な新規性なのです。日本人での成績はこれまで未知だったのですから。「新規性がある」とは、大なり小なりに関わらず未知の事柄を既知としたことに対する評価であると僕は考えています。インパクトの強さと新規性の有無は関係ありません。
一方、中国人を対象に他の研究グループも同じ検討を行ったとします。それでもやっぱりAの方が優秀と分かったとします。これは、新規性があるとは言えません。中国人に対してAの方が効果的というのは既知の事実ですから。しかしだからと言って無価値なわけではありません。既知の事実を支持するデータが増えたことはとても有意義なことです。
誤解を恐れずに言えば、新規性があろうとなかろうと、全ての研究に意義はあるのです。
巨人の肩の上に立つ
研究が積み重ねであることは、かの有名なアイザック=ニュートン先生が残した次の言葉からもわかります。
If I have seen further, it is by standing on the shoulders of Giants.
私が彼方まで見えているのだとしたら、それは巨人の肩の上に立っているからです。
文献検索エンジンである Googlr Scholar のトップページにも書かれているので有名な言葉かとは思います。
巨人とは、これまで積み重ねられてきた知識、あるいは積み重ねてきてくれた先人たちのことです。この言葉は、先行研究とその担い手に対する敬意を忘れない、とても大事な言葉だと僕は思います。
Dr.STONEの記事でも触れましたが、研究というのはすごく地道な、一歩ずつ石を穿つような歩みなのです。
閃きとか奇抜な発想とか、ないわけじゃないですけど、基本はもっともっと堅実なものです。世間様の誤解が少しでもとけたら幸いです。今日も研究頑張ります💪