O-721

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自己満足を形にします。大学院生だったり薬剤師だったり。

幸運を。死に行く者より敬礼を。

開花宣言こそあれまだまだ蕾の桜花に見送られ、今年も後輩が僕より先に社会へと飛び立っていきます。今日は大学の卒業式の日でした。

僕の卒業式は3年前に完了しているか、あるいは来年の今頃に予定されているとも言えます。合わせて10年にも及ぶ大学での時間も、来年度で最後です。ついに大学を去る日も、そう遠くありません。

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助教のお誘いを明確にいただいたのは、2021年(D3)の11月終わりごろでした。

明確にとわざわざ断っているのは、それもまでも全くなかった話ではなかったからです。しかしそれは、僕が卒業するタイミングで異動する教員の、悪く言うなら与太話として話半分で聞いていました。

時を戻そう。お誘いをいただいたその時の僕の心の声としては

「本当ですか!?ありがとうございます!!」

というは高く見積もっても消費税分くらいのもので、一番は

「本気で言ってます?正気ですか?」でした。

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お話をいただいた時点での僕の研究実績は、力不足と感じざるを得ませんでした。おそらく素人が見てもそんな美味しい話をいただけるようなものではなかったです。

あまり具体的に述べるのはよくないかもですが……例えば学振は三振しましたし、リジェクトを繰り返した末に国内の学会誌(一応IFついてますが)採録とか、国際誌への採録も編集長が日本人だったから通ったんじゃないかと思うくらいです。

同様の立場の方々にアカデミアに残る権利がないだなんて毛頭思っていません。これは個々人の哲学や自信、心理の問題です。僕の場合は、嬉しさよりも違和感が勝るような感情を隠しきれませんでした。異動が生じるタイミングで使い勝手のいい人員が残ってくれると楽、くらいの考えだったんじゃないかなと邪推さえしてしまいます(それが悪い考えとは思っていませんが)。

ただまあ素直に嬉しい、美味しい話なのは間違いありません。

一方で僕は既に就活を始めていて、ご縁でとある医療機関の方から内定をいただいていました。そして僕のやりたいことは昔から、大学病院の中よりも地域医療にあるのです。

 

悩んだ僕は、妻や友人、親などさまざまな人に相談しました。

 

親(義理のも含め)は、助教というポストがあるのなら、そちらが良いと言ってくれました。多分「教員」という仕事を勘違いしている実母に裁量労働制はじめいくつかの実情を申し添えたいですが。

「生きていく上で肩書きは大事ですよ」

義母の言葉です。そらそうよね。僕も、これまでの大学院生活をフルに活かすなら、このまま研究室に残るのが当たり前と思います。

 

一方で、就職を肯定するのは多くが大学院の友人や先輩でした。さてはみんな疲れてんな?

多分、「おもろい」方を好む人種が集まったんでしょうね。既定路線に乗っからない友達ばかりで楽しいですほんと。

「肩書きで生きていくのが楽しいとは思わん」

友の一言です。青いですね。笑う僕もまだまだ青いです。

 

妻は、あなたの好きにしたらいいと言ってくれました。交際当初、就職せず大学院に行くことを打ち明けた時も、同様のことを言ってくれました。

現在の研究室(病院所属)では、コロナ禍で厳重な行動制限が課されています。この中には冠婚葬祭(葬は比較的ゆるいですが)への原則参加禁止などもあります。

妻は結婚式や披露宴を楽しみにしているようですが、現状では実現不可です。そして僕が助教として残るという選択をした場合、将来的にも叶うことはないでしょう。

今しかできないこと、と言ってもいいようなライフイベントです。妻には迷惑をかけてばかりですが、彼女の大事にしているものは大事にしたい。ひょっとしてくだらない理由ですかね?でも僕にとってはとても、とても大きな要素でした。

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結局、答えを出したのは1月半ばでした。

僕は、アカデミアに残るという選択肢を絶ちました

上に挙げたように大小、さまざまな理由はあるのですが、やはり大きかったのは最初に感じた違和感です。自分が納得できていない状況でそんな美味しい話をいただくのは、本気で研究を志す方々に失礼に感じました。

卒後は件の医療機関で臨床業務に従事する傍ら、既に土台のある学術面の強化も担いたいと思います(そういう話で内定いただいています)。決してビッグプロジェクトじゃないけれど、地域から堅実に情報発信を続けられるような、そんな体制作りに貢献したいと思っています。

そして、もし大学に戻りたいと思う日が来たなら、その時はポスドクから始めようと思います。生え抜きのエスカレーターで楽をするのではなく、正々堂々苦労して、納得して進みたい。やっぱり、青いですね。

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タイトル回収ですが、これはSCP-1983(先の無い扉)という作品に出てくる有名なワンフレーズです。

SCPシリーズは異常存在の確保・収容・保護に勤しむ職員たちの活躍が描かれた作品群です。

「幸運を。死に行く者より敬礼を。」この文章は、異常存在が支配する空間で、恐怖に心折られたある職員が失意の中で残した遺書の末尾です。彼はこの文書を、後続の職員が見つけて活用してくれることを祈って、最期に書き残しました。

 

オレの銃には弾が少し残ってるが、意味なんてねえ。もう祈れない。

だけど、アンタ、これをアンタが見つけたら、オレに代わって、やり遂げてくれ。多分、アンタはオレよりも強い。

幸運を。死に行く者より敬礼を。

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SCP-1983(先の無い扉)では「祈りを込めた銀の弾丸で撃ち抜く」ことで異常存在の消滅を図ります。「銀の弾丸」という言葉には「物事を打開する力」という意味があるそうです。

院進までした僕ですが、アカデミアでは銀の弾丸になりませんでした。この記事は、アカデミアという未来を選ばなかった、大学院生としての僕の遺書です。

これから研究を志すみなさんが、どこまでも飛び続ける銀の弾丸となるよう、心からお祈り申し上げます。