O-721

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自己満足を形にします。大学院生だったり薬剤師だったり。

あなたにとっての大切がわたしにとっての大切とは限らない, vice versa

何よりもまずは、ご冥福をお祈りいたします。総理大臣として、政治家として、大変ご尽力された方と存じます。

久々の更新がこんな話題で残念ですが、人の生命についてのお話なので筆を取ることとしました。

長々と書いてますが、言いたいことはただ一つで、生命の尊重に理由は要らないし、あってはならないということです。

そんな当たり前のことをつらつら書いてます。暇な人だけ読み進めていただければ幸いです。

命あふれる季節

法律上、あるいは社会通念という観点では、暴力、傷害、殺人は厳罰の対象です。裏を返せば、厳罰を受ける覚悟であれば、行為そのものは禁止されていません(屁理屈ですね)。覚悟に見合った動機や主張、信念が犯人にあれば、ひょっとすると容易い行いなのかもしれません。

では信念に基づく暴力は是か非か。

世論がどっちでもいいですが、ただ僕は嫌いです。

でもどうでしょう、きっと信念を求める人が多いんじゃないでしょうか。確かに、仮に自分が刺されたとして、理由が「あの時のあの発言が行動がうんぬんカンヌン」はっきりと分かっている方が嬉しいです。「赤色を見たくなったので」とか言われたら、その辺に生えてるポストで我慢してくれって思いますね。

ダンガンロンパより引用。知らない方はググって。

繰り返しになるのですが僕は心身への暴力、傷害(ry は嫌いです。善とか悪とかではなく、嫌いです。

嫌いなのでやりたくありませんが、子どもが食卓に並んだ苦いピーマンを食べなければならないように、やらなければいけない局面が訪れてしまうかもしれません。例えば自身や近しいものの生命・尊厳の危機や、徴兵などといった不可抗力の場面でしょうか。そうならないことを祈ります。

先程の信念の話と併せて、暴力(ry の良し悪しなんてものは相対的で文脈に依存するものとも考えられます。戦場では多く殺した者が英雄なんて言葉は今や使い古されていますね。

僕はその立場を否定しません。否定する権利もモチベーションもありません。

ただ、その立場にあって、許容される暴力と許容されない暴力の併存を認めるのであれば、許容条件のコンセンサス確立と、個別案件における当該条件への適合度の評価がマストではないでしょうか。少なくとも文脈が明らかになるまでは黙っとらんか?とは思います。でないとそのうち手首が捩じ切れますよ。

 

そして、あくまで僕の考えですが、このプロセスは大変難しいのではないでしょうか。

許容条件のコンセンサス確立、これが厄介すぎます。何故なら、あなたにとっての大切がわたしにとっての大切とは限らないからです(タイトル回収)。

側から見たらボロボロのキーホルダーでも「亡くなった母との思い出の品なんです!」、なんて御涙頂戴のドラマや漫画でありそうですね。かたや同じ親の形見であっても高値がつくならば出品するぜって人もいるかもしれませんしね。

違って当たり前の価値観を前提にコンセンサスを得るには、現実的には多数決しかないでしょう。初等教育以来、何度もお世話になってきた手法です。

多数決で決まるのならば、法律は必要ありません。加害者も被害者も、同情をより多く集めた側の勝利です。この辺りは『リーガル・ハイ2』でも描かれていましたね。

民意なら正しい。みんなが賛成していることなら、全て正しい。

ならば、みんなで暴力を振るったことだって、正しいわけだ。

「冗談じゃない!」リーガル・ハイ2より

冗長になってきたのでそろそろ僕の主張を言います。

仮言命法はやめて定言命法で語りなさい。

仮言命法とは「~ならば、~せよ」の形で述べられる、条件付きの要求です。「モテたければ優しくせよ」的な。

一方の定言命法、これは条件なしの要求です。モテようがモテまいが「優しくせよ」ですね。

 

なんでこんな話をしているかって、タイムライン上に「コロナ禍で頑張った方だからどうか助かって!」という感じのツイートが流れてきて、すげえもやっとしたからです。

善行を理由にどうか助かってほしいという願いは、犯人の(動機は定かではないですが)どうか死んでくださいませという志と同時に成り立ちます。

どんな良いことをした人も、どんな悪いことをした人も、その人を守る理由だって壊す理由だって、皆それぞれに存在し得るじゃないですか。ただしこれは個々人に宿るもので、社会的にどうこうというスケールではありません。

だからこそ理由を求めてはいけないのです。故意でも偶然でも、私怨でも公益のためでも、どんな理由があっても!「暴力はよくない」ですし、「被害者は救済されるべき」だと、僕は思いたいです。

納得も正義も感情も必要ではなく、血の通わない法律が理路整然に粛々と処理してくれれば良いのです。ここに事情の知らない他人や素人や野次馬の介在する余地はありません。

Q)綺麗事ばっかりやんか! A)そうだよ。でもだからこそ現実にしたいじゃない。

『ここは今から倫理です。』の7巻に収録されています34話から、「何故人を殺してはいけないか」について高校生たちの"対話"が描かれます。

www.shueisha.co.jp

倫理的なトピックについての議論ですので「正解」は用意されていませんが、主人公である教師は次の言葉で授業を締めています。

今ここには、確かに生きた「倫理」があった

こんな教科書に書いてある文字が「倫理」などではない

私が話す言葉も「倫理」などではない

今ここにいる皆さんこそが、「倫理」だった

僕の考えに違和感や不快感を覚える方もいらっしゃると思います。別にいいです、というかそれがいいです。

問いましょう。考えましょう。語らいましょう。更新しましょう。

それこそが倫理の、人間の営みではないでしょうか。