あなたにとっての大切がわたしにとっての大切とは限らない, vice versa
何よりもまずは、ご冥福をお祈りいたします。総理大臣として、政治家として、大変ご尽力された方と存じます。
久々の更新がこんな話題で残念ですが、人の生命についてのお話なので筆を取ることとしました。
長々と書いてますが、言いたいことはただ一つで、生命の尊重に理由は要らないし、あってはならないということです。
そんな当たり前のことをつらつら書いてます。暇な人だけ読み進めていただければ幸いです。
法律上、あるいは社会通念という観点では、暴力、傷害、殺人は厳罰の対象です。裏を返せば、厳罰を受ける覚悟であれば、行為そのものは禁止されていません(屁理屈ですね)。覚悟に見合った動機や主張、信念が犯人にあれば、ひょっとすると容易い行いなのかもしれません。
では信念に基づく暴力は是か非か。
世論がどっちでもいいですが、ただ僕は嫌いです。
でもどうでしょう、きっと信念を求める人が多いんじゃないでしょうか。確かに、仮に自分が刺されたとして、理由が「あの時のあの発言が行動がうんぬんカンヌン」はっきりと分かっている方が嬉しいです。「赤色を見たくなったので」とか言われたら、その辺に生えてるポストで我慢してくれって思いますね。
繰り返しになるのですが僕は心身への暴力、傷害(ry は嫌いです。善とか悪とかではなく、嫌いです。
嫌いなのでやりたくありませんが、子どもが食卓に並んだ苦いピーマンを食べなければならないように、やらなければいけない局面が訪れてしまうかもしれません。例えば自身や近しいものの生命・尊厳の危機や、徴兵などといった不可抗力の場面でしょうか。そうならないことを祈ります。
先程の信念の話と併せて、暴力(ry の良し悪しなんてものは相対的で文脈に依存するものとも考えられます。戦場では多く殺した者が英雄なんて言葉は今や使い古されていますね。
僕はその立場を否定しません。否定する権利もモチベーションもありません。
ただ、その立場にあって、許容される暴力と許容されない暴力の併存を認めるのであれば、許容条件のコンセンサス確立と、個別案件における当該条件への適合度の評価がマストではないでしょうか。少なくとも文脈が明らかになるまでは黙っとらんか?とは思います。でないとそのうち手首が捩じ切れますよ。
そして、あくまで僕の考えですが、このプロセスは大変難しいのではないでしょうか。
許容条件のコンセンサス確立、これが厄介すぎます。何故なら、あなたにとっての大切がわたしにとっての大切とは限らないからです(タイトル回収)。
側から見たらボロボロのキーホルダーでも「亡くなった母との思い出の品なんです!」、なんて御涙頂戴のドラマや漫画でありそうですね。かたや同じ親の形見であっても高値がつくならば出品するぜって人もいるかもしれませんしね。
違って当たり前の価値観を前提にコンセンサスを得るには、現実的には多数決しかないでしょう。初等教育以来、何度もお世話になってきた手法です。
多数決で決まるのならば、法律は必要ありません。加害者も被害者も、同情をより多く集めた側の勝利です。この辺りは『リーガル・ハイ2』でも描かれていましたね。
民意なら正しい。みんなが賛成していることなら、全て正しい。
ならば、みんなで暴力を振るったことだって、正しいわけだ。
冗長になってきたのでそろそろ僕の主張を言います。
仮言命法とは「~ならば、~せよ」の形で述べられる、条件付きの要求です。「モテたければ優しくせよ」的な。
一方の定言命法、これは条件なしの要求です。モテようがモテまいが「優しくせよ」ですね。
なんでこんな話をしているかって、タイムライン上に「コロナ禍で頑張った方だからどうか助かって!」という感じのツイートが流れてきて、すげえもやっとしたからです。
善行を理由にどうか助かってほしいという願いは、犯人の(動機は定かではないですが)どうか死んでくださいませという志と同時に成り立ちます。
どんな良いことをした人も、どんな悪いことをした人も、その人を守る理由だって壊す理由だって、皆それぞれに存在し得るじゃないですか。ただしこれは個々人に宿るもので、社会的にどうこうというスケールではありません。
だからこそ理由を求めてはいけないのです。故意でも偶然でも、私怨でも公益のためでも、どんな理由があっても!「暴力はよくない」ですし、「被害者は救済されるべき」だと、僕は思いたいです。
納得も正義も感情も必要ではなく、血の通わない法律が理路整然に粛々と処理してくれれば良いのです。ここに事情の知らない他人や素人や野次馬の介在する余地はありません。
『ここは今から倫理です。』の7巻に収録されています34話から、「何故人を殺してはいけないか」について高校生たちの"対話"が描かれます。
倫理的なトピックについての議論ですので「正解」は用意されていませんが、主人公である教師は次の言葉で授業を締めています。
今ここには、確かに生きた「倫理」があった
こんな教科書に書いてある文字が「倫理」などではない
私が話す言葉も「倫理」などではない
今ここにいる皆さんこそが、「倫理」だった
僕の考えに違和感や不快感を覚える方もいらっしゃると思います。別にいいです、というかそれがいいです。
問いましょう。考えましょう。語らいましょう。更新しましょう。
それこそが倫理の、人間の営みではないでしょうか。
幸運を。死に行く者より敬礼を。
開花宣言こそあれまだまだ蕾の桜花に見送られ、今年も後輩が僕より先に社会へと飛び立っていきます。今日は大学の卒業式の日でした。
僕の卒業式は3年前に完了しているか、あるいは来年の今頃に予定されているとも言えます。合わせて10年にも及ぶ大学での時間も、来年度で最後です。ついに大学を去る日も、そう遠くありません。
助教のお誘いを明確にいただいたのは、2021年(D3)の11月終わりごろでした。
明確にとわざわざ断っているのは、それもまでも全くなかった話ではなかったからです。しかしそれは、僕が卒業するタイミングで異動する教員の、悪く言うなら与太話として話半分で聞いていました。
時を戻そう。お誘いをいただいたその時の僕の心の声としては
「本当ですか!?ありがとうございます!!」
というは高く見積もっても消費税分くらいのもので、一番は
「本気で言ってます?正気ですか?」でした。
お話をいただいた時点での僕の研究実績は、力不足と感じざるを得ませんでした。おそらく素人が見てもそんな美味しい話をいただけるようなものではなかったです。
あまり具体的に述べるのはよくないかもですが……例えば学振は三振しましたし、リジェクトを繰り返した末に国内の学会誌(一応IFついてますが)採録とか、国際誌への採録も編集長が日本人だったから通ったんじゃないかと思うくらいです。
同様の立場の方々にアカデミアに残る権利がないだなんて毛頭思っていません。これは個々人の哲学や自信、心理の問題です。僕の場合は、嬉しさよりも違和感が勝るような感情を隠しきれませんでした。異動が生じるタイミングで使い勝手のいい人員が残ってくれると楽、くらいの考えだったんじゃないかなと邪推さえしてしまいます(それが悪い考えとは思っていませんが)。
ただまあ素直に嬉しい、美味しい話なのは間違いありません。
一方で僕は既に就活を始めていて、ご縁でとある医療機関の方から内定をいただいていました。そして僕のやりたいことは昔から、大学病院の中よりも地域医療にあるのです。
悩んだ僕は、妻や友人、親などさまざまな人に相談しました。
親(義理のも含め)は、助教というポストがあるのなら、そちらが良いと言ってくれました。多分「教員」という仕事を勘違いしている実母に裁量労働制はじめいくつかの実情を申し添えたいですが。
「生きていく上で肩書きは大事ですよ」
義母の言葉です。そらそうよね。僕も、これまでの大学院生活をフルに活かすなら、このまま研究室に残るのが当たり前と思います。
一方で、就職を肯定するのは多くが大学院の友人や先輩でした。さてはみんな疲れてんな?
多分、「おもろい」方を好む人種が集まったんでしょうね。既定路線に乗っからない友達ばかりで楽しいですほんと。
「肩書きで生きていくのが楽しいとは思わん」
友の一言です。青いですね。笑う僕もまだまだ青いです。
妻は、あなたの好きにしたらいいと言ってくれました。交際当初、就職せず大学院に行くことを打ち明けた時も、同様のことを言ってくれました。
現在の研究室(病院所属)では、コロナ禍で厳重な行動制限が課されています。この中には冠婚葬祭(葬は比較的ゆるいですが)への原則参加禁止などもあります。
妻は結婚式や披露宴を楽しみにしているようですが、現状では実現不可です。そして僕が助教として残るという選択をした場合、将来的にも叶うことはないでしょう。
今しかできないこと、と言ってもいいようなライフイベントです。妻には迷惑をかけてばかりですが、彼女の大事にしているものは大事にしたい。ひょっとしてくだらない理由ですかね?でも僕にとってはとても、とても大きな要素でした。
結局、答えを出したのは1月半ばでした。
僕は、アカデミアに残るという選択肢を絶ちました。
上に挙げたように大小、さまざまな理由はあるのですが、やはり大きかったのは最初に感じた違和感です。自分が納得できていない状況でそんな美味しい話をいただくのは、本気で研究を志す方々に失礼に感じました。
卒後は件の医療機関で臨床業務に従事する傍ら、既に土台のある学術面の強化も担いたいと思います(そういう話で内定いただいています)。決してビッグプロジェクトじゃないけれど、地域から堅実に情報発信を続けられるような、そんな体制作りに貢献したいと思っています。
そして、もし大学に戻りたいと思う日が来たなら、その時はポスドクから始めようと思います。生え抜きのエスカレーターで楽をするのではなく、正々堂々苦労して、納得して進みたい。やっぱり、青いですね。
タイトル回収ですが、これはSCP-1983(先の無い扉)という作品に出てくる有名なワンフレーズです。
SCPシリーズは異常存在の確保・収容・保護に勤しむ職員たちの活躍が描かれた作品群です。
「幸運を。死に行く者より敬礼を。」この文章は、異常存在が支配する空間で、恐怖に心折られたある職員が失意の中で残した遺書の末尾です。彼はこの文書を、後続の職員が見つけて活用してくれることを祈って、最期に書き残しました。
オレの銃には弾が少し残ってるが、意味なんてねえ。もう祈れない。
だけど、アンタ、これをアンタが見つけたら、オレに代わって、やり遂げてくれ。多分、アンタはオレよりも強い。
幸運を。死に行く者より敬礼を。
SCP-1983(先の無い扉)では「祈りを込めた銀の弾丸で撃ち抜く」ことで異常存在の消滅を図ります。「銀の弾丸」という言葉には「物事を打開する力」という意味があるそうです。
院進までした僕ですが、アカデミアでは銀の弾丸になりませんでした。この記事は、アカデミアという未来を選ばなかった、大学院生としての僕の遺書です。
これから研究を志すみなさんが、どこまでも飛び続ける銀の弾丸となるよう、心からお祈り申し上げます。
行く年来る年(遅刻)
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
というのは言い過ぎですが、京都を出て滋賀に向かう途中、ふと外を見ると見慣れぬ白銀の世界が広がっていました。たまに太陽が顔を出すと光が照り返し、車中は光に包まれました。
今回の年末年始は妻の実家で過ごすこととしました。実家と下宿以外で過ごすはじめての大晦日で、大なり小なりのカルチャーショックが楽しかったです。
さて、子どもの頃は無邪気に楽しんでいた雪ですが、さすがにもう交通網への影響懸念の方が勝ってしまう歳になりました。雪見た時のワクワクの初速は衰えないんですが、持続しませんね。
往路は12/31の午前、大雪の予報があった日です。懸念通り、予定していた電車に乗れず(運休になりました)、仕方なく動いてくれている鈍行で移動しました。
ところが、目的の駅についた時間は予定通りでした。なんか乗り換えとかその辺がうまくいったんでしょうね。知らんけど。
「あせってはいけません。ただ、牛のように、図々しく進んでいくのが大事です。 」
丑年最後の日に、漱石先生の言葉を三度思い出しました。
さて、今年は寅年。図々しく進めてきた博士課程もいよいよ最後の年です。自分が目指す薬剤師像のために定めた進路ですが、思えばこれも長い遠回りでした。
ですがその中で得たものが数え切れないほどあります。良い遠回りでした。
そして気づけば目の前には、民間への就職(臨床)か、大学に残る(研究)か、2つの選択肢があります。
目的地ははっきりしているので、あとはこの後どこまで「遠回り」をするかといった次第ですが…これについては近日中に答えを出すので、改めてご報告したいなと思います。
いずれにせよ、これまでの3年間で培った力を発揮して、自分が博士課程にいることを、それを修了するに値する人間だということを示さねばなりません。
今年の僕の標語は「爪痕を残せ」です。
皆さんはどんな年にされますでしょうか?幸多きことをお祈りいたします。
(余談)
「爪痕を残す」という表現は本来悪い意味で用いるそうです。使用する場面には要注意ですね。