O-721

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自己満足を形にします。大学院生だったり薬剤師だったり。

夜中に難しいことを考えるのはやめとけ

生産的であれと思う。他者に価値あるものを生産し与えることが、この世界に存在していい理由だとすら思う。

同時に、非生産的であれと願う。何も生み出さなくとも良いと安心して過ごす時間は、とても心地いいから。

 

この間、あつまれどうぶつの森をやっているときに考えたことです。

その日は研究関係でやりたいことがあったんですが、休憩がてらにSwitchを起動させたが最後。カブの値段を確認するだけのはずが、気がつけばもう寝る時間になっていました。

時間を忘れるほど楽しめた一方、やってしまった感が添い寝してくるのは厄介でした。

 

Anxiety is the dizziness of freedom.

「不安は自由の眩暈である」 とは、キルケゴールが『不安の概念』において記した、いわゆる名言です。

人間は理性や知性など特定のあり方で本質を規定することのできる実体存在ではなく、心と身、可能と必然、永遠と時間、無限と有限など、相反するさまざまな要素をもつ関係存在である。人間はこれらの諸契機を自分なりに主体的に関係づけながら自己を形成していく自由な存在である。そして、自由であるということは、特定の本質をもたないという無のなかにいることとなり、無を前にした気分が不安をよぶのである。

コトバンク「不安の哲学」より

https://kotobank.jp/word/%E4%B8%8D%E5%AE%89%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6-1584338

自由すぎると不安になるというのは何となくわかるんじゃないかと思います。

冒頭の話でいうと、僕は何かを生産することで他者と関係していて、これによって僕の存在(意義)は保証されるわけです。

上の引用では、「自分なりに主体的に関係づけながら自己を形成していく自由な存在」と書かれていますが、そもそも関係を強いられる時点で多少なりの不自由が発生しています。

可能性という言葉を無制限に使ってはいけない。我々という存在を規定するのは、我々がもつ可能性ではなく、我々がもつ不可能性である。

森見登美彦・著『四畳半神話大系』樋口清太郎

可能性を自由、不可能性を不自由と換えても差し支えないでしょうか。不可能や不自由といったフレームが用意されることで、僕たちは本来不定形な自己というものをうまく形成できるわけです。

うん、やはり生産的であるべきです。

 

ではなぜ生産したくない、もっと簡単にいえば「何もしたくない」と(少なくとも一過性に)思うのでしょうか。

生産し続けられないというのは誰もが思いつく答えです。効率的な生産には適度な休み時間が必要ですよね。言い換えれば、非生産的である時間が未来の生産性を生産しているということです。

ただこれは未来の生産性を前提とした話です。今日は疲れたからもう休もう、みたいな。

そういうのじゃなくて、もっと純粋に、手段ではなく目的として、非生産的な時間を続けることはできないのでしょうか。

今更ながら非生産の定義が必要かと思います。僕の考えでは、非生産的とは「非自己に何も与えないこと」を指します。

ゲームで得られる楽しい時間は、自分にとっては生産的(価値ある時間の創生)ですが、他人にとってメリットがないのでやはり非生産的です。ゲーム実況は、それを見て楽しむ人がいるので生産的です。

じゃあ筋トレはどうでしょう。何となく生産的な印象です。でも健康的=生産的とは限らないですよね。生産のために健康であるべきとは思いますが。筋トレが他人を幸せにすることはきっとないですよね。結果としての筋肉が好きな人はいるかもしれませんが。

何の話をしているかわからなくなってきました。非生産的な時間を続けることはできないのか、という問題に戻ります。

先のキルケゴールの引用に準ずるなら、他者ではなく自分とだけ関係を築くことで自己を形成できるとしたら、きっと非生産的な時間を続けることは可能と思います。

ひとりで生きていけるなら好きにしろ、と言うのとはちょっと違うくて、少なくともこれはフィジカルの話ではなくてメンタルの話です。

自分の存在理由を他者に依存せずに確信できるのであれば、非生産的であっても生きていけるのだと思います。

これは難しそうですね。でもたまにこういう風に見える人がいて、羨ましいなって思います。

 

まとめ。まあ結局はバランスですよね。

非自己との関係で課せられる不自由、不可能性といったフレームが大きすぎると、その中に収まるべき自己が歪に凝りかためられてしまいます。逆にそのフレームが小さすぎると、自己の形は不安定になってしまいます。フレームを自分で作れる人は最強です。

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何かしたいーって生産的なフェーズと、何もしたくないーって非生産的なフェーズ、行ったり来たりを繰り返す人生ですな。

 

ただ、今のフレームの形に満足する必要もなさそうです。

いろんな場所に行って、いろんな人と出会って、いろんな時間を過ごして、自分にぴったりのフレームを作ってくれる関係を選択することはできますよね、きっと。

それってすごく幸せなことだなあと思います。うん。

 

 

なんの話をしたかったのか。タイトルへ戻ります。