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自己満足を形にします。大学院生だったり薬剤師だったり。

アンサング・シンデレラ 第5話:解説と感想

原作3巻に相当した今回のお話。避けられない最期の治療を目の当たりに、涙を流された方も多いのではないでしょうか。

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死を見据えた治療は敗北なのか。治せない薬に価値はないのか。「よく生きる」って何なのか。視聴された各々が考えるきっかけになれば幸いです。

 

 

解説

胃がんとSP療法

胃がんに対する代表的な化学療法レジメンとしてSP療法があります。これは、「5-FUのプロドラッグであるS-1を3週間内服の後2週間休薬するというスケジュールで投与し、それに加えて白金製剤であるシスプラチンをday 8に投与するという治療法」です。

わかりにくいので一つずつ整理してみます。なお、施設ごとに投与タイミング等が微妙に異なる可能性について予め申し上げておきます。

まずS-1(TS-1)という医薬品について。これはテガフールギメラシルオテラシルカリウムという配合剤になります。Wikiによると、『「TS-1」は当初「S-1」と呼ばれた。これは開発者の白坂哲彦のイニシャルから取ったものである。しかし「S-1」の商標は佐藤製薬がすでに取得済みであったことから、大鵬薬品工業のTをつけて「TS-1」と最終的になった。』らしいです。

テガフールは体内で徐々に5-FUという化合物に代謝されます(プロドラッグ)が、この5-FUこそ抗がん剤の実質なのです。5-FUをそのまま投与せず、あえて体内で代謝させる時間を設けることで、体内に5-FUが存在する時間を増やすとともに急激な血中濃度上昇を防ぎ、より高い有効性と安全性が期待されます。

ギメラシルは5-FUの分解酵素DPD(ジヒドロピリミジンデヒドロゲナーゼ)を阻害することで5-FUの効果持続を促します。またオテラシルカリウムは消化管における5-FUの活性化(リン酸化)を抑制し、代表的な副作用である消化管障害の発生リスクを低減します。

 SP療法ではこの配合剤を1日2回、3週間飲み続けます。用量(テガフール相当量)は体表面積(BSA)で規定されます。体重ではないので注意です。

  • BSA < 1.25 ㎡ → 40 mg/回
  • 1.25 ㎡ ≦ BSA < 1.5 ㎡ → 50 mg/回
  • 1.5 ㎡ ≦ BSA → 60 mg/回

この3週間のうち、8日目にシスプラチンという薬を点滴で投与します。通常 60 mg/㎡ を2時間程度かけて静脈内投与します。抗がん剤の副作用に吐き気があるため、多くの場合シスプラチンの前に吐き気どめを点滴します。また、シスプラチンの代表的な副作用に腎機能障害があります。これは、OCT2を介してシスプラチンが腎細胞に蓄積するためと報告されています。この腎機能障害を低減するため、マグネシウムや利尿薬の投与が行われます。加えて、患者本人の飲水励行もお願いします。輸液量も多くし、なるべく早く排泄させようというハイドレーションという方法をとります。

この3週間の治療ののち、2週間何もしない期間(休薬期間)を設けます。これを1クールと定義し、数回のクールにかけて継続します。

なお、今回はHER2陰性でしたが、もし陽性であればトラスツズマブを加えたHER+SP療法が可能です。最近では化学療法だけでなく免疫療法も組み合わせることで、効果の向上だけでなく、様々な治療選択肢が提供されます。その分薬剤師がチェックするべき項目は増えるのですが…がん治療の適切な管理における薬剤師の貢献は、かなり大きいのではないかと個人的には思っています。

 

ケモセラピールーム、無菌調剤、職業性曝露

名前はいくつかあると思います。うちの大学病院だとケモ室というとピッキングも含めた抗がん剤をはじめとする注射薬専用の部屋で、その中にさらにミキシングルームという混合調製の部屋があります。

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今回は抗がん剤の調製でしたが、他にも自己免疫疾患の治療で用いるインフリキシマブの調製、高カロリー輸液に微量必須元素を混合するなど、注射剤の混合調製全般をここで行います。

注射剤は無菌製剤と言われ、ひときわ清潔(医療的な意味での)な環境下での調製作業が求められます。刈谷さんが手袋、マスク、ガウン、キャップといった重装備で作業しているひとつの理由は、作業者の手指や衣類の微生物によって薬剤が汚染されるのを防ぐためです。

抗がん剤調製の場合、もうひとつ重要な意味があります。それは作業者の被曝防止です。

https://www.halyardhealthcare.com/media/12279393/knowledge_communication_s_vol1.pdf

抗がん剤作用(化学療法)の本質は細胞傷害です。調製作業の途中、例えば、取り扱い中にエアゾル化した薬剤を吸い込むこと、あるいは抗がん剤の飛沫やはねが皮膚から体内へ吸収されることがあります。抗がん剤が体内にどれだけ摂取されたかによってリスクは変わりますが、付着部位の炎症や量によっては全身への作用(染色体異常など)が発生します。

刈谷さんが手を入れて作業している「装置」は安全キャビネットと言われます。文字通り、「調製者の安全を守る」のを目的に、装置内は陰圧(空気を吸い込む)ようになっています。通常の無菌操作では「医薬品を清潔に保つ」のが目的のため、クリーンベンチという似て非なる装置でも作業が可能です。クリーンベンチ内は陽圧となっており、空気を外に追い出すため菌を侵入させない仕組みです。抗がん剤調製をクリーンベンチで行うことは、エアロゾルなどが気流に乗って調製者に曝露してしまうので禁止されます。

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https://www.hitachi-ies.co.jp/products/cleanair/class.htm

日本では1991年に日本病院薬剤師会により『抗悪性腫瘍薬の院内取扱い指針 抗がん薬調製マニュアル』が初めて作成され、その後改訂を繰り返し2019年には第4版が発行されています。また、2008年には『注射剤・抗がん薬無菌調製ガイドライン』が作成され、調製時の安全性担保や無菌混合の操作方法などについて、薬剤師の管理のもとにすべての医療従事者が習熟するための指針が示されました。

実際には薬剤部と他部門との調整上の困難や、スペース調整といった物理的な困難、また経済的な問題や安全性についての認識不足など、施設ごとに認識や規定が異なっているのが実状のようです。抗がん剤を取り扱う者に対する安全対策については、まだクリアすべき課題があるのかもしれません。

 

治験と法的規制 

治験という言葉を聞いたことがない人は少ないかもしれませんが、その意味はしばしば歪んで解釈され、さながら人体実験のように思われている方もいらっしゃるようです。

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人を対象に行われるすべての研究を「臨床研究」と言います。その中でも、薬の投与や手術などの影響を評価する試験を臨床試験と言います。この臨床試験の中でも特に、厚生労働省から薬・医療機器としての承認を得ることを目的として行う試験を「治験」といいます。すなわち、薬が薬として公認されるための重要な過程です。

治験はヒトでの安全性や有効性が明らかになっていない(これから明らかにしようとする)研究段階の医療です。そのため、患者さんの安全性の確保が最優先されます。参加可否については、試験への適格基準に加え、患者を診ている担当医の判断、何より患者本人への十分な説明と理解の上での同意が必要となります。

治験は科学的、倫理的、かつ安全であることを前提に実施されます。大まかにはGCP(Good Clinical Practice)という省令に基づき、様々な法規制のもと様々な監査を受けながらデザインされ進行します。

例えば、試験の妥当性を多角的にまた公正に審議するため、 医薬品の開発に携わる医師、製薬企業等から独立した第三者機関である治験審査委員会(IRB, Institutional Review Board)が治験ごとに組織されます。IRBには医療に理解のある専門職に加え、弁護士などの非専門職、医療機関と利害関係のない第三者を交えた5人以上が組み込まれ、患者の人権保護と安全確保の観点から試験デザインを公正に審議します。

実験的要素を否定できない以上、治験という言葉が「強い」あるいは「重い」意味合いを持つのは仕方がないことです。治験や臨床試験への参加は「世代としての義務だが個人としての権利である」という説明を聞いたことがあります。些細な怪我や病気も含め、今我々が施される治療の裏には医療に携わる者と何より患者の過去の貢献があります。

治験を恐れる気持ちは否定しませんが、過去あるいは現在にその選択をされた方々の思いや覚悟までは否定しないでいただきたいです。

 

臨床試験結果の解釈

臨床試験で得られた結果の解釈は大変困難で、トレーニングを重ねなければ専門職でも誤解してしまうことがあります。

例えば誰もが気になる有効性。作中では治験薬で生存期間が半年延びた症例もある、と言っていました。

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ではこの延びた半年間の患者さん、あるいはご家族の満足度はどうだったのでしょうか。生きていてほしいという願いを否定する気はありませんが、この半年が「よく生きる」ための期間となれたかどうかは、そういった指標データ(QOLやPRO)を集めていないとわかりません。しかも「症例もある」という怪しい言い方。それはチャンピオンデータ(全体結果を代表しない一番優れたデータ)かもしれませんね。

また、臨床試験の結果や解釈を、臨床試験に参加しなかった患者さんにまで適応できるかどうかを外挿性と言います。作中では、ニボルマブがstage Ⅳのがん患者に著効した論文を紹介していましたが、この試験は胃がん患者を対象としたものではありませんでした。ニボルマブは確かに胃がんに対して適応を有しますが、だからと言ってこの試験結果をそのまま胃がん患者さんに適応することはできません。

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他にも気をつけなければいけないことはたくさんあります。何より、情報というものが人から発信され人が受信する以上、その人の解釈や偏見があることは念頭に置かなければなりません。

 

緩和医療と「よい最期」

がん患者(あるいはその家族まで含め)は、全人的苦痛を受けていると言います。この苦痛は、がんと診断・告知された時から始まります。

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https://ganjoho.jp/public/support/relaxation/palliative_care.html

そのため、がん治療と並行して緩和ケアを開始します。WHOによる緩和ケアの定義(2002年)は以下になります。

緩和ケアとは、生命を脅かす病に関連する問題に直面している患者とその家族の QOL を、痛みやその他の身体的・心理社会的・スピリチュアルな問題を早期に見出し的確に評価を行い対応することで、苦痛を予防し和らげることを通して向上させるアプローチである。

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https://ganjoho.jp/public/support/relaxation/palliative_care.html

緩和ケアには以前解説した医療用麻薬を筆頭に、様々な医薬品で患者の「よい最期」をサポートします。しかし「よい最期」を形作るのは薬だけではありません。その一つに、最期を迎える場所(環境)があります。

最新(2017年結果)の人口動態統計:死亡の場所別にみた年次別死亡数・百分率 では、病院で最期を迎えられた方が73.0%に比較して、自宅で最期を迎えられた方は13.2%でした。1977年以降、自宅ではなく病院でお亡くなりになられる方の割合が増えています。

一方、平成29年度人生の最終段階における医療に関する意識調査報告書では、様々なケースを提示する中でそのどれもで「最期を迎えたい場所」は「自宅」が70%程度をしめて大多数でした。

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緩和ケアは積極的治療に替わるものでも諦めの象徴でもなく、患者が「よく生きる」ための一つの手段です。最近ではがんに限らず、全ての疾患にこの概念が浸透しつつあります。

「よく生きる」その最後に「よい最期」があります。どう死ぬかというのは、どう生きるかそのものだと思います。闇雲に命をつなげるだけが医療じゃない。

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感想

第二の患者

前回記事で解説しました。原作では心理療法士さんによる説明でした。ドラマでは主人公の葵みどりが説明していましたね。キャラが増える嫌いがあるのでしょうが、薬剤師以外の活躍も少し描いてほしかったなと思います。

 

「治るかもしれないですね」

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「治る」とはなんでしょうか。

個人的なお話で恐縮ですが、私の祖母は神経痛を患っていて、歩行が困難な状態です。そして僕が帰省や電話をするたびに訊かれます、「これ治るんかな」。

元の状態に戻ることを「治る」というならば、決して治らない病気はこの世に山ほどあります。神経痛も、がんも、高血圧も、ALSも、自己免疫疾患も…。

「もしかして治るかもしれない」医療者としてこれほど切な願いはないです。しかし、その難しさを誰よりも知っています。

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祖母に「治るんかな」と訊かれたとき、僕は「薬飲んでたら歩くの楽やんね。調子乗って身体動かして悪くしたらあかんよ」としか答えません。

「多分治らへんよ」というのは簡単です。「きっと治るよ」というのも同様に簡単です。いい医療者というのがどんなものかはわかりませんが、その人はきっと希望も絶望も簡単に与えてはくれないと思います。

 

薬はなんのために

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病を治せない薬に価値はない、僕はそうは思いません。でもそう思ってしまう気持ちもわかります。

研究室の教授の受け売りですが、薬学教育には「死の科学」がありません。基本的には薬の効果を学ぶので、効いた場合の勉強しかしません。人によっては薬局や病院の実習で看取りに立ちあえるかもしれませんが。

死ぬしかない患者にどう寄り添うのか。臨床、対人を語るのであれば、薬剤師も考えなければならないことだと思います。

 

 

 

個人的にも終末期医療は関心の深い分野なので、つい熱くなってしまいました。

「臭いものには蓋をする」という諺がありますが、昔から穢れ(日常的ではないこと、出生や死亡、差別など)からは目を背けがちな日本人です。しかし最近ではACP、人生会議といった言葉が少しずつ広まっているようです。死生観が変わりつつあるかもしれません。

Memento-mori は「死を思え(忘れるな)」と訳されますが、元々は「どうせ明日死ぬかもしれないのだから、今を楽しむべきだ」という意味だったそうです。最期まで楽しく生きる、僅かでもそのお手伝いができれば、医療者としてこれほど喜ばしいことはないと思います。