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自己満足を形にします。大学院生だったり薬剤師だったり。

迷いと決断の末の「24歳、学生です。」

僕は今、大学院の博士課程にいます。24歳、学生です。同級生のほとんどは社会人です。僕も少し前までは、その内の1人になるつもりでした。でも、自らの意志で、みんなとは少し違う道を選びました。

「迷い」と「決断」

今からのお話がそこまで大したものかは分かりませんが、お題を聞いた時真っ先に浮かんだものです。誰かの何かの役に立てばこの上ない喜びですが、何より自分自身のために言葉にしようと思います。

 

 

17歳 第一の「迷い」と「決断」

研究者を目指していました

僕の生まれ育った場所は、いわゆる田舎でした。ど田舎ではありませんでしたが、田んぼは多かったしコイン精米機はありました。なので幼少の頃の遊びは、大体が雑木林や畦道での虫取りでした。おかげでゲームボーイデビューは遅れましたが、その分手にした後はやりこんでしまって、瞬く間に近眼です。一番ハマったのはやはりポケモンですね。懐かしい。

これらが関係するかは分かりませんが、高校まで僕はずっと研究者になりたいと思っていました。最初はなんとなく、生物学者ってかっこいいなってくらいでした。オーキド博士に憧れたかはわかりませんが、自然やそこに棲む生き物たちが好きで興味があったことは確かです。中でも最初に興味をそそられたのは、毒を持つ生き物です。このあたりの似たような本をいっぱい読んでいましたね。

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もうちょっと勉強してみると、どうやらその毒が薬として使われていたり、そもそも薬として使われている生き物もあるようだと知りました。これは面白いなと思ったのが、今の道に進むことに決まった最初のきっかけかもしれません。

高校生になった僕の進路希望は、大学に進学して薬の研究をすることでした。自然由来のお薬、生薬について勉強したいなと漠然と考えていました。周りからも、性格的にも研究者向いてるよって言われていました(褒め言葉だったと信じています)。

祖父の死、進路の迷い

転機は17歳の夏、受験勉強真っ只中の時期でした。

この頃、1年ほど前から祖父が入院していました。ざっくり言うと血液のがんでした。歳も歳でしたので、骨髄移植もできないですし、まあ言ってしまうともう死んでいくしかなかった状態です。僕はおじいちゃん子だったので、もう家には帰ってこれないのかと思うと寂しくて悲しくて、お見舞いに行くたびに変わってしまった現実を見せつけられて辛かったことを覚えています。

その日は突然やってきました。早朝から病院へ向かった母親から、電話がかかってきました。

 

おじいちゃんな、もうあかんねんて

でもな、延命したら、もうちょっと生きれるかもって

なあ、どうしたらええかな?

 

そのまま!

 

叫んでいました。そのままで、今まで頑張ってきたから、もう休ませてあげよう、そんな感じのことを言った気がします。そんな感じの言葉で、母親を泣かせたことを忘れられません。

僕は「延命治療は患者の尊厳を損ない得る」と信じていました。本か何かで読んだんだと思います。祖父には、徒に延命して苦しい思いをして欲しくなかった。

しかしこの時、僕が何の迷いもなく延命を拒否してしまったことを、今でも深く後悔しています。

僕は、祖父の病状の全てを知っていた訳ではありません。あのタイミングで、延命処置がプラスに働くかマイナスに働くか、そんなこと分かりません。それなのに、生半可な知識で、感情で、祖父の命を否定してしまった。何の迷いもなく、と書きましたが、迷うために考える材料すらなかったのです。

言葉にし難い、途方もない後悔に襲われました。人殺しの自覚さえありました。祖父の葬式では、僕が殺したのだから僕が泣いてはいけないと、心に決めて臨んだことを覚えています。

罪滅ぼしの決断

祖父の延命を拒否してから、僕の中に一つの迷いが生まれました。

本当に研究者になりたいのかな。

当時、研究者というものに対して非常に自由な印象を持っていました。自らの興味に従順に、好きに生きるような印象を。

人殺しの僕にそんな勝手が許されるのかな。今こうして書いていても、何と飛躍的な発想かと思いますが、当時の僕は真剣に悩んでいたんです。

そんな時に読んだのが、今では座右の書になっています、『神様のカルテ』でした。

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続編にあたる『神様のカルテ2』を読んでいた時に、こんな言葉に出会いました。

人は必ず死ぬ。わしらがどんなに手を尽くしても、人間は二百歳までは生きられへん。いかに生きるかばっかりが吹聴される世の中やけど、いかに死ぬかっちゅうこともきっちり考えるのが、医者の仕事やで。

この時に決断しました。高校3年生の秋の始めだったと思います。

僕は薬剤師として患者に向き合っていこうと、進路を変えることを決断しました。

もう治らない、死んでいくしかない、祖父のような患者から苦しみを取り除いて、できるだけ最期まで笑顔で居られるような医療人になろう。そのための知識と経験を学ぼう。

これは僕なりの罪滅ぼしです。

 

22歳 第二の「迷い」と「決断」

「もったいない」

その後、無事に薬学部に入学しました。薬剤師になるために必要な薬学修了課程は6年間あります。僕の通う大学では薬学生の多くは企業に就職していました。薬剤師として働く人間はごく僅かです。しかし、僕の進むべき道は6年後に薬剤師として就職、と端から決めていました。

4年次に、地域の中核病院に見学(インターンというにはかわいらしい)に行きました。しかし、数カ所行ったのですが、どこに行ってもだいたい同じことを言われるのです。

 

薬剤師目指すの? もったいない。

ここは君みたいな学生が来る場所じゃないんだよ。

 

ショックでした。周囲の人間ならともかく、自分のなりたかったものに自分を否定されるのは、辛かった。親からも、薬剤師になるよりも良い企業に勤めてほしいと言われました。

僕が目指すものの価値はそんなに低いのだろうか。5年前の僕の決意はただの自己陶酔だったのだろうかと、1年以上迷い続けました。

原点回帰

そんな中、今の研究室の教授や先生方とじっくりお話できる機会がありました。お酒の場だったので、あまり確かな記憶は残っていないのですが、そこで決断したことは覚えています。

研究をする薬剤師になろう。

患者に寄り添うことばかり考えてきましたが、それではただの自己満足だと気付きました。寄り添うのなら、最先端の知識を以って、できるかぎりを尽くしたい。寄り添ったなら、得たものを形にして、患者の残した跡を無駄にしてはいけない。

最先端の科学を、医療を、何より研究の術を学ぼう。そう決意して、僕は大学院への進学を決断しました。

何の因果か、こうして今は昔憧れた研究者への道を進んでいます。でも目指す方角は、17歳の決断から変わってはいません。あの時の迷いは、決して無駄ではなかった。

 

これから 何度でも「迷い」と「決断」

薬学部の修了課程は6年間ですが、大学院(博士課程)はここにあと4年間がプラスされます。僕は今24歳学生ですが、卒業する頃には28歳になっています。

今でも迷いはあります。博士課程への進学が果たしてベストな選択であったのか。罪滅ぼしはどうしたのか。今やっていることは、患者を幸せにできるのか。

自分の生活面でも迷います。周りは社会人として自立しているのに、こちとらまだ被扶養者ですからね。メリットといえば学割使えるくらいですよ。幸せにしたい人もいるのですが…こんなんで良いんですかね、僕。なんて考える毎日です。

まあでも、これから何度でも迷おうと思います。その度に、自分で決断して答えを出していこう。そうすれば、それがどんな道であっても、自分の道だと胸を張って言える気がします。

 

ひどい自分語りになってしまいましたが、せっかくの機会なので書いてみました。

お粗末さまでした。