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自己満足を形にします。大学院生だったり薬剤師だったり。

薬剤師国家試験から1年が経ちました

僕は昨年の第104回薬剤師国家試験を受験して、現在1年目の薬剤師として(週2回程度ですが)調剤薬局で非常勤として働いています。

第105回国家試験は来週末に控え、あの受験からそろそろ1年が経とうとしています。

実は夏休み明けくらいから、国家試験対策的なつぶやきや記事を書こうかとも思いましたが、自身の勉強用法があまり一般的ではないだろうと思ったのもあって控えました。

今回は、過去の整理のために、昨年のことを振り返ってみようと思います。

 

 

 

国立大学に所属していたのもあって、国家試験勉強のスタートは遅かった方だと思います。

そもそも卒業論文発表が12月初旬にあったため、それまでは勉強より研究でした。特に僕は大学院進学が決まっていたのもあって、1月初旬くらいまでは(頻度は減りましたが)研究室に行っていました。

僕は要領の良い方ではないので、もっと早くから初めておかないと合格できない自信が満々でした。幸いなことに、今もお付き合いしている彼女が他大の薬学生でしたので、秋くらいからたまに勉強を教えてもらっていました。

彼女の紹介で、予備校である薬学ゼミナール(薬ゼミ)の講習会にも数回参加しました。あれには感動しました。大学の先生方とは違って、さすが教えるプロといった感じです。しかし残念ながら、質問にはうまく答えてくれませんでした…。青本の内容を明快かつ効率的に教示するプロであっても、内容に対する批判的思考までは求められないかもですね。

こんな感じで、細々と勉強を始めました。しかし11月は卒論発表準備に追われて、ほとんど勉強はできませんでした。

 

学部としての試験対策は、卒業論文発表日のすぐ後に薬ゼミの講師をお呼びしての1週間。これが12月中旬、統一模試Ⅱの直前です。

1日1教科で、青本1冊を1日で浅く広く終わらせるといったものでした。本当にそれだけです。ちなみに4回生のCBTの時は、学部での対策なんてなかったですね。

ここからは本格的に勉強を始めた…訳ではありませんでした。全くしなかった訳ではありませんが、研究に関する勉強会・セミナーへの参加予定もあって、きちんとやり始めたのは年明けからです。年内にやったのは、薬ゼミ講習会に数回参加したのと、統一模試Ⅰ、Ⅱの解説書は、青本と照合しながら読み込みました。自主的な問題演習なんて全然やらなかったですね。

 

年末年始は12/31と1/1だけ実家に帰って、それ以外は下宿で勉強していました。

ここぐらいで意識し始めたのは生活リズムです。それまではやりたいときにやりたいことをしていたので、やる気さえあれば深夜でも勉強していました。これでは試験当日にベストな体調で挑めないぞと思って、調整を始めました。

生活リズムは試験当日に合わせ、朝起きて夜寝ることを大前提に、食事の時間や休憩の時間などもある程度決めて、スマホのアラームで管理していました。具体的には、7時に起床、8時から12時まで勉強。13時まで昼休憩をし、そのあとは19時まで勉強。途中1時間を休憩としていました。20時まで夜の休憩、24時の就寝まで勉強といった風でした。起きてすぐ勉強は辛いので、1時間遊びを設けていたのは我ながらグッドでした。

他人に会う用事がないので、勉強に専念した生活を送れました。風呂に入るのも3日に1回。1日の外出は2回、昼食と夕食を買いに最寄りのコンビニに行く合わせて5分程度。ご飯は毎回パスタ+野菜一日これ一本+R1ヨーグルト。3日に1回、お風呂に入る日に合わせて、気分転換に外食はしていましたが。

 

こんなリズミカルで崩壊的な生活を続けていたある日、大袈裟に言えば心が折れました。せめてお風呂は毎日入るべきだったかもしれません。

この頃になってようやく領域別問題集(計9冊)を始めましたが、当日までに一通り終わらせるため、1日に1冊(すなわち1領域)を目標にしました。

確か『物理』をやっていたときだと思います。全然わからなかったんです。僕は声に出して勉強をするタイプで(だから誰かと勉強できずに家にいたんですが)、問・選択肢・解説を読み上げていました。間違ったら「はい間違ったアホ〜」なんて言っていたんですが、言霊ってあるんですかね、心の中に積もっていく感じでしんどくなってしまいました。晩ご飯食べながら、林明日香さんの『小さきもの』を聴いていたのを覚えています、ポロポロと涙が溢れてきました。ああこの状態ではダメだと、その日は早めに寝ました。寝たら治りましたので、睡眠って大事ですね。

ちなみに1日1冊、できました。絶対に勧めませんが。

 

試験までに泣いたのは、もう1回だけあります。年末年始をろくに実家で過ごさなかった僕を、父親がよく思わなかったようです。そればっかりは仕方ないし、まあ悪いことしたかなとも思うんですよ。ただ、母親から聞いた話ですが。どうやらこんな苦言を呈していたみたいです。

「薬剤師の試験なんてみんな受かるんやろ? 早く帰ったん、どうせ友達とか彼女とかと遊ぶんやろ」

普段ならイラっとする程度で済むんですが、タイミングが悪い。勉強漬けで疲れていた心には少しダメージが大きかった。

同じく頑張っている友達や彼女、薬学生を馬鹿にされた気がして、憤った。薬剤師という仕事を肉親から否定されて、悲しかった。医師国家試験だったらこんなこと言われなかったのかなとか、被害妄想が膨らむ膨らむ。涙が溢れる溢れる。知人に愚痴って、寝たら治りました。持つべきは友と睡眠です。

結局父親とは和解できていません。というか父親はこんなこと覚えてもいないと思います。先日のお正月も「お前28歳まで遊べていいな!」と言われて、その残念な頭を目の前のカニ鍋で煮込んでやろうかと思いました。カニが勿体無いのでやめました。いつかどこか誰かの博士課程やポスドクに刺されないかと心配ですがその時はそのときです。

 

さて、試験の1週間ほど前から、友人たちと勉強を始めました。一人でいる不安に負けました。この頃は毎日お風呂に入って服も着替えてご飯もみんなで食べて、元気に明るく文化的に過ごせました。

この頃の勉強は、必須レベルの振り返りと、苦手意識のあったところの復習に専念していました。ホルモン製剤、抗ウイルス薬、キナーゼ阻害薬をまとめ直した覚えがあります。自分を安心させるための勉強しかしなかったですね。豆腐メンタルの僕にはこれが合っていたと思います。

試験会場は新大阪。当日電車でも十分間に合うんですが、万が一積雪や人身事故で遅れると嫌なので、前日からホテルに入りました。行きませんでしたが、二郎ラーメンが近かった。

緊張して夜は眠れませんでした。3時寝5時起きとかだった気がします。あれだけ念入りに生活リズムを整えていたのが笑えますね。不合格者の方が少ない試験であること、国立大の学生であること、父親に舐められていること、色々な思いが混ざり混ざって何が何でも不合格などあってはならないというプレッシャーになっていました。

試験時間は基本的に余るようになっていると思います。それ以外やることもないのですが、何度も見直ししました。ただ、最初から迷ったところは、最初に選んだ答えのままにしました。経験的なところですが、そういう問題に限って見直して答え変えると、変える前が合っていること多いんですよね。

1日目を終えて、自己採点をするか否か悩みました。合理的に考えると、そんなことする時間あれば勉強しろって思いますよね。結局気になったままでは手に付かないと、友人もするというのもあって自己採点してしまいました。結果的には悪くなかったので、安心要素となりましたが、結果論ですね。その日の夜はゆっくり眠れました。

2日目を終えて、友人たちと打ち上げをする前に自己採点を終わらせてしまいました。結果は77.7%と、なんだか縁起のいい得点率でした。禁忌肢を選んでいたら一発アウトという恐れはありましたが、ひとまず安心。ビールがうまかった。

 

 

あれから1年。薬剤師として働く中で、新しく覚えたこともありますが、忘れてしまったことも多いように思います。せっかく勉強したのに勿体無いとは思いますが、やはり使わない知識は腐る一方のようです。

今も多くの薬学生がラストスパートを頑張っていることでしょう。試験まで1週間を切った心境はよくわかるつもりです。

勉強したから、頑張ったから、絶対受かるとは思いません。合格者数はある程度決まっていますし。それに世の中、自分よりも低燃費で結果を出していく奴なんていっぱいいます。辛いなあ。

なので、楽観も悲観もせず、期待も絶望も抱かず、淡々と過ごせばいいです。淡々と過ごすべきです。それができれば苦労しませんけどね。。。

みなさんが良い春を迎えられることをお祈りしています。あと1週間、頑張ってとは言いません、どうかご自愛ください。