O-721

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自己満足を形にします。大学院生だったり薬剤師だったり。

寺田寅彦『コーヒー哲学序説』を読んで

学振がどうも書き切れそうにないので明日以降の自分に託してブログを更新します。出来の悪い大学院生であります。

今回は読書感想文です。読んだのは寺田寅彦氏の『コーヒー哲学序説』青空文庫でも読めますし、Kindleでは無料です。10ページ強程度の短い文章なので、30分程度で読めてしまいます。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2479_9658.html

https://www.amazon.co.jp/コーヒー哲学序説-寺田-寅彦-ebook/dp/B009AJGMIG

読書は好きなのですが、寺田先生の文章を読むのは初めてでお恥ずかしい。寺田先生が学者・研究者であったことは知っていたので、無料ということもあり、あとはタイトルに惹かれて読んでみた次第です。

コーヒーの良さについてのエッセイかと思いきや、文章は牛乳から始まります。

八、九歳のころ医者の命令で初めて牛乳というものを飲まされた。当時まだ牛乳は少なくとも大衆一般の嗜好品でもなく、常用栄養品でもなく、主として病弱な人間の薬用品であったように見える。

コーヒーについては2ページ目から触れられています。

初めて飲んだ牛乳はやはり飲みにくい「おくすり」であったらしい。それを飲みやすくするために医者はこれに少量のコーヒーを配剤することを忘れなかった。粉にしたコーヒーをさらし木綿の小袋にほんのひとつまみちょっぴり入れたのを熱い牛乳の中に浸して、漢方の風邪薬のように振り出し絞り出すのである。

なんとお薬の話が続くではありませんか!笑 内容的に直接の関係はありませんが😅  しかしここで僕の心は完全に掴まれてしまいました。それにしても、今はコーヒーを飲めない人が牛乳を加えて飲みやすくするのが一般的かと思いますが、全く正反対でありますね🤔

ともあれ、寺田先生はこれをきっかけにコーヒーの味に酔い痴れ、留学中や旅行中も、国内外でコーヒーを楽しまれるようになりました。

しかし自分がコーヒーを飲むのは、どうもコーヒーを飲むためにコーヒーを飲むのではないように思われる。

(中略)

コーヒーの味はコーヒーによって呼び出される幻想曲の味であって、それを呼び出すためにはやはり適当な伴奏もしくは前奏が必要であるらしい。

これは、自宅でいかに美味しくコーヒーを淹れられても、散らかった居間の書卓の上で飲んではどこか物足りない、という文脈で書かれています。寺田先生はコーヒーを研究のリフレッシュの目的でも飲まれていたようですが、この時に大切なのが上述の「コーヒーの味」であったようです。

芸術でも哲学でも宗教でも、それが人間の人間としての顕在的実践的な活動の原動力としてはたらく時にはじめて現実的の意義があり価値があるのではないかと思うが、そういう意味から言えば自分にとってはマーブルの卓上におかれた一杯のコーヒーは自分のための哲学であり宗教であり芸術であると言っていいかもしれない。

寺田先生にとってコーヒーは、先生の生活、ひいては実存に不可欠のものであったようです。

きっと誰もがこうした存在を持っているのではないでしょうか。自分の生活を彩り活力を与えてくれる存在です。

それこそコーヒーの方もいれば紅茶の方もいらっしゃるでしょうし、お酒って方も多いかもしれませんね。タバコは、今時少ないでしょうか? 読書やゲーム、運動などの趣味もいいですね。物でなくとも、恋人や友達、家族に子供、ペットだってありです。

何れにせよ「寺田先生にとってのコーヒー」を持つことが、長い人生を生きていく中で大切なのだろうと思いました。

長いGWが明け、もっと長い日常が再開される前に出会えて良かったと思える作品でした。