『ウクレレ先生』ー 自分を見失った人たちに送る、静かな癒しのものがたり。
最近アンサングの記事ばっかり書いてるのでたまには違うこと書こうと思いました。
こないだウクレレを買ったんです。何か楽器したいなーとはずっと思っていました。中学?高校?の時にアコギに手を出して失敗してから疎遠だったんですが、えいやと買ってみました。
安くて手を出しやすいのもウクレレのいいところですね。ギターと違って小ぶりでかわいいのと、弦がナイロンで触りやすいのも魅力です。僕みたいに手先の不器用な人は4弦でも大変なので6弦のギターなんて土台無理だったのかもしれません。
ウクレレは店頭で対面で購入しました(Amazonのラインアップが安すぎて怖かったので)。案外置いていないお店も多いですね。探し出すのに思ったより苦労しました。
まあでもまずはAmazonで探しますよね。とりあえずね。店頭とは違ってたくさん種類がありますし、チューナーや教本などのセット売りもあって便利な世の中だぜほんと。
検索結果をスクロールしていくと、一つだけ違和感のあるサムネイル画像があって指を止めました。クリックしてみると小説でした。Kindle価格で480円と安かったので、こちらもえいやと買ってみました。結構こうやってジャケット買いしちゃうんですよね。
内容をめっちゃざっくりまとめると
こんな感じです。いやもっと複雑なんすよほんまは。ジャケ買いだったんであまり期待していなかったんですが、最後までしっかり読ませてもらいました。
「自分を見失った人たちに送る、静かな癒しのものがたり。」
さっきからジャケ買いジャケ買い言うてますけど、このキャッチコピーに惹かれましたね。読み終わって、正直ちょっと大げさかなとも思いますけど、やっぱりいいキャッチコピーだなと思います。大げさだなと思うのは「癒し」というところです。なんだろう、再起とか再生とか、そういう言葉の方がしっくりきます。
主人公の女性は「自分を見失って」います。こう書くと何やらたいそうですが、きっと多くの人がそうしているように「他人に合わせて自分をつくる」とか、その程度のことです。その程度のことでも、やっぱり息苦しく感じる方は多いでしょうし、日常の何かのタイミングで疲れてしまうことがありますよね。
どこか会社の上司に対して、イケダさん(不倫相手)に対して演じる自分が、他者から求められるから三十代後半にさしかかる自虐する自分を演じる自分が、もう演技ではなくなって、とっくに本来の自分と取って代わられているのかもしれない。
この本は不思議なくらい静かな気持ちで読み進めることができましたが、人生の面倒をまさに他人事に眺めているそんな気持ちでした。
実は話のほとんどが不倫やら人間関係やら面倒なことに辟易する主人公の姿です。ウクレレ関係ないやんけって思うんですけど、ちゃんと音楽に関連したセリフや描写もあります。いくつか好きな場面があるので紹介しますね。
主人公が友達とカフェで話すシーンがあるんですけど、そこでの会話が僕の納得に役立ちました。
「なるほど、ヤスコさん(主人公)はそっちにいくわけね」
「そっちって?」
「『女は三十過ぎると踊り出す』って友達が言ってたの。その子もフラ始めたんだって」
「わたしはフラじゃなくて、ウクレレだよ」
「だから、踊る方じゃなくて演奏の方なんだと思って。結局は自己表現でしょ」
なるほど、と腑に落ちた。わたしは自己表現がしたかったのか。
これには僕もなるほどと思いました。演技をし続けてきた人間が行き着く先としての自己表現。誰かに聴かせたいとか以上に、自分のために楽器を始めたかったんだとわかりました。
そんな気持ちが裏にあるからこそ、ウクレレでさえ誰かに強制されるのは嫌ですよね。
押し付けがましい自己啓発のような店員の言葉を、心の釜に放り込んでぐつぐつ煮込む。続ける、続けないは、わたしの自由。昔から、他人になにかを決めつけられるのは好きではない。ましてや、気持ちの悪い演奏をする人に言われるのは心外である。結果的にコンサートを買うにしてもこの店員からは買いたくない。きっと音が濁る。つまらなくなる。
これはウクレレを買おうとするところで、最初に行ったお店の若い店員が嫌だったってところの心理描写です。
コンサートってのはウクレレのサイズの話で、ソプラノっていうのが一番小さいのですがその次に大きいものです。ソロ弾きするならコンサート買った方がいいよ〜って、鬱陶しい店員さんがネチネチ言ってくるんでイライラしているところです。続けるかもわからないし大きさや価格的にソプラノがいいんですけどって言ったら「だから続かないんでしょ」って。しかもその店員の演奏がたいしてうまくもなく、悦に入った自信過剰な粘っこい音という。音楽に限らずですがこういう人いますよね〜。
ちなみに僕はソプラノを買いました。小さい方で練習しとくと大きくなっても対応しやすいけど逆は難しいってネットで見たので。あと僕も続けられなかったらの想定して、小さい方がインテリアとして飾りやすいなって思いました。僕の対応してくれた店員さんは笑ってくれましたけど嫌な客ですよね。
ネチネチ言われたけれどそこで負けずに買わなかった主人公がかっこいい。「結果的にコンサートを買うにしてもこの店員からは買いたくない。きっと音が濁る。つまらなくなる。」かっこいいと思うけど、こいつ面倒な性格してるなとも思わせる、いい描写です。
主人公はこのあと行ったお店でソプラノを買います。そこの店主さん(さっきと対比して老人)の言葉が素敵です。
楽器はさ、楽じゃないと。音楽は楽しくないと、意味ないから
楽でいいんですよね。僕もギターに負けてウクレレを始めたけれど、ウクレレの方が楽です。楽ってなんだか悪いこと、卑怯なこと、だらし無いことのように思えるんですけど、そんなことないですよね。いつからそういう風に思ってしまうようになったのか。
楽って言ってますけどきちんと楽器なので一朝一夕には弾けないです。一日中触ってるわけでもないんだし。
主人公もまずは簡単な練習からスタートしますが、そこで先生にイラつくシーンがあります。その心の理由を、主人公は次のように理解して飲み込みます。
繰り返し、Cコードばかりを弾かされているのが嫌だったのだ。子どものような理由だが、三十五歳になるのにすんなりできないことがある、ということに乱されたのだと思った。
歳とると練習が恥ずかしいってのはよくわかります。僕水泳も苦手なんですが、じゃあ今からスイミングスクール行くかって言われたら(行きたいですけど)恥ずかしいです。いい歳してんだからそれなりにうまくやれて当然(できないのはおかしい)っていう無意識のプレッシャーを自分でかけている人多いんじゃないかな。
もうすぐ終わりってところまで読んで、それなりに面白かったけどなんでウクレレなんだろ?という疑問だけが残っていました。もっとメジャーな、例えばギターでもよかったのに。
そしたらちゃんと理由がありました。楽器店の店主の言葉から始まります。
「今だから言うけどさ、最初あなた(主人公)が店に来たときにね、あー、めんどくさそうなのが来たなーって思ったのよ」
(中略)
「突然、ウクレレやるってことは、自分を変えたくて何かを求めて来てる。でも、僕たちがその何かを提供できるかはわからないでしょ。重いんだよね」
「重い……?」
「そう、重いの。じめっとしちゃってさ。ウクレレはハワイの空気みたいにカラッとする楽器なの。まあ、なんとかなるさ、なのよ」
このセリフ見たときに、と言うか本を読み終わったときに、あー、ウクレレ買ってよかったなと思いました。
僕はだいぶじめっとしている人間です。結構主人公と重ねていたところがあったなーって、読み終わってから気がつきました。いや、不倫(浮気)はしてないですよ?
せっかくウクレレ始めたので、僕もカラッとしたいですね。
ちなみに今は定番の Happy birthday to you と、Love me tender ばっかり練習しています。全然カラッとしてへん笑
もうちょっと上手くなったら誰かに聴いてほしいなあ。いつなるか知らんけど。まあ、なんとかなるか!