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自己満足を形にします。大学院生だったり薬剤師だったり。

米津玄師「パプリカ」を個人的に解釈してみた

「パプリカ」と言えば、米津玄師さんが作詞・作曲された、〈NHK〉2020応援ソング プロジェクトにおける応援ソングです。小学生5人のユニット Foorin が踊って歌う姿が印象的かと思います。

そんな「パプリカ」ですが、1週間前に米津玄師さんご自身のカバーバージョンがYouTubeに投稿されました。

youtu.be

Foorinが歌っていた時は「夏真っ盛り!」って感じでしたが、米津さんの方では曲調も変わって、なんとなく夏の黄昏時を思わせるような、もの寂しい雰囲気にもなりました。

今回は、そんな「パプリカ」の歌詞とMVから、その物語の解釈をしたいと思います。個人的解釈なので、異論・反論は全然OKです!

 

 

歌詞

曲りくねりはしゃいだ道 青葉の森で駆け回る

遊びまわり日差しの街 誰かが呼んでいる

夏が来る 影が立つ あなたに会いたい

見つけたのは一番星 明日も晴れるかな

パプリカ 花が咲いたら 晴れた空に種を蒔こう

ハレルヤ 夢を描いたなら 心あそばせあなたに届け

 

雨に燻(くゆ)り月は陰り 木陰で泣いていたのは誰

一人一人慰めるように 誰かが呼んでいる

喜びを数えたら あなたでいっぱい

帰り道を照らしたのは 思い出の影法師

パプリカ 花が咲いたら 晴れた空に種を蒔こう

ハレルヤ 夢を描いたなら 心あそばせあなたに届け

 

会いに行くよ 並木を抜けて 歌を歌って

手にはいっぱいの花を抱えて ラルラリラ

 

パプリカ 花が咲いたら 晴れた空に種を蒔こう

ハレルヤ 夢を描いたなら 心あそばせあなたに届け

踵弾ませこの指とまれ

 

解釈

【1番】

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曲りくねりはしゃいだ道 青葉の森で駆け回る

遊びまわり日差しの街 誰かが呼んでいる

なんとなく自然豊かな田舎を想像しますね。MVから察するに、男の子と女の子を呼ぶマントの子、といった構図でしょうか

 

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夏が来る 影が立つ あなたに会いたい

見つけたのは一番星 明日も晴れるかな

暑い日差しが影を作る夏が来ると、「あなた」に会いたくなる。楽しい一日が終わり暗い夜が来ても、空は晴れ渡り一番星が輝いている。明日も(きっとその先も)晴れますように(「あなた」に会えるように、また一番星が見えますように)。

 

「あなた」はマントの子でしょうか。男の子と女の子はマントの子と日常的に会えないのでしょう。ここから、男の子と女の子は兄妹で、夏に帰省するタイミングにだけ、帰省先にいる仲良しのマントの子と会えていたと仮定します。

 

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パプリカ 花が咲いたら 晴れた空に種を蒔こう

ハレルヤ 夢を描いたなら 心あそばせあなたに届け

パプリカの花は、喜びや楽しみの象徴でしょう。晴れた空はそのまま、晴れ渡った心と受け取ります。楽しいことの後は、晴れ渡った心に次の楽しみを考えよう。この気持ちがあなたにも伝わるといいな、くらいの意味でしょうか。ここは、男の子と女の子がマントの子との時間をとても大切にしていた、くらいに漠然と捉える方が自然と思います。

 

【2番】

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雨に燻り 月は陰り 木陰で泣いていたのは誰

一人一人慰めるように 誰かが呼んでいる

 1番の「見つけたのは一番星」「明日も晴れるかな」に対応する形で「月は陰り」「雨に燻り」です。燻る(くゆる)というのは中々聞きなれない言葉ですが、煙が緩やかに立つ様子を表すようです。また、思い悩むという意味もあるそうですので、この場合こちらが当てはまるかと思います。木陰で泣いていたのは、MVでは女の子ですが、きっと男の子も同じでしょう。

マントの子は亡くなってしまったのでしょうか。影が付いているので、違うのかもしれません。ここではとりあえずそのように仮定します。

マントの子の死を悲しんでいるのは兄妹、それにその家族もです。MVではマントの子がみんなに会いに来ます。季節は夏のように見受けられるので、お盆の時期にみんなに会いに来たということでしょう。

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ここで印象的なのは、マントの子が赤ちゃんの手を握りに行くシーンです。お母さんがマントの子を一切見ないところを踏まえると、やはりマントの子は亡くなっていそうです(影はあるのですが…)。赤ちゃんを「誕生」の象徴と考えると、「死亡」したマントの子がその手を握りに行くこのシーンは、人生の始まりと終わり、命の循環を意味していそうです。

 

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喜びを数えたら あなたでいっぱい

帰り道を照らしたのは 思い出の影法師

今までの喜びを数えたら、あなた(マントの子)と過ごした時間でいっぱいです。帰り道は、MVから察するに、夏に家族全員で出向いているところから、お墓参りからの帰り道でしょうか。あるいは、兄妹からすると、友の死を受け入れ乗り越えた、深い悲しみからの「帰り道」かもしれません。

その帰り道を照らしてくれるのはマントの子との「思い出の影法師」。思い出は輝かしい記憶ですが、思い返す度にマントの子の死を思い出させます。それでも、友と過ごした時間は確かに兄妹を支えてくれます。友と過ごした記憶は、兄妹の心に光と影を残しました。

 

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パプリカ 花が咲いたら 晴れた空に種を蒔こう

ハレルヤ 夢を描いたなら 心あそばせあなたに届け

1番のサビと同じ歌詞ですが、異なる印象を受けます。

2番の冒頭では雨空でした。しかし、止まない雨はありません。マントの子はもうこの世にはいませんが、兄妹は前を向いて歩いていきます。「もう大丈夫だよ」、どうかあなた(マントの子)に届いて欲しい。

「晴れた空に種を蒔こう」の意味がここで明らかになります。種は花火玉を表し、打ち上がれば空で花を開かせます。お盆に花火を打ち上げるのは、送り盆における合図や供養の意味があるといいます。家族で花火を見るシーン、これまでを踏まえるとマントの子が居ても不思議ではありませんが、ここでは居ません。きっと、花火の合図で帰っていったのでしょう。

 

【3番】

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会いに行くよ 並木を抜けて 歌を歌って

手にはいっぱいの花を抱えて ラルラリラ

時が経っても兄妹はマントの子に会いに行きます。一緒に遊んだ森の奥に、明るく歌を歌いながら、たくさんの花を持って。時系列的には、イントロと3番が現在で、1番2番は過去の回想でしょうか。

友の死を受け入れた一方、決して忘れることはありません。マントの子と再会した時の兄妹が、幼い頃の姿になっているのが素敵です。

 

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彼岸花が咲いています。これまでは夏(お盆)を想定していましたが、ここでは時間が経っていて、秋のお彼岸なのかもしれません。確かに、夕暮れ時の情景から秋らしさも感じられます。もう1つの解釈は、彼岸花に囲まれたあの場所が文字通り「彼岸」、すなわちマントの子が逝ってしまった世界であるということです。

 

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パプリカ 花が咲いたら 晴れた空に種を蒔こう

ハレルヤ 夢を描いたなら 心あそばせあなたに届け

踵弾ませ この指とまれ

 最後のサビです。最後に「踵弾ませこの指とまれ」という一節が追加されています。

この指とまれというと、一緒に何か(遊び)をする人を集う時の決まり文句です。そして踵を弾ませるのは、嬉しい時ですね。踵を弾ませるのが兄妹なのかマントの子なのかは悩ましいところですが、いずれにせよ、マントの子に(が)「これからも一緒だよ」と呼びかけているのだと思います。

 

感想

聞けば聞くほどお盆の曲でした。Foorinの子供たちが歌っていた時には感じられなかった夏の寂しさが感じられてよかったと思います。

お盆の親戚の集まりでもそうですよね。

子供からすると、なんで集まっているのかも正直よくわかっていない。でもみんなでワイワイするのはいつもと違って楽しい。これがFoorinの歌うべきお盆だと思います。我々のような色々な事情を知ってしまっている人間は、米津さんの歌うお盆が沁みるのかもしれませんね。

あくまで僕個人の解釈ですので、他にも色々あると思います。YouTubeのコメント欄をちらっと見たら、投稿日の8/9から長崎の原爆と繋げて解釈される方もいらっしゃいました。

歌詞の解釈は、聞いている本人が一番腑に落ちるものが一番正しいのだと思います。少なくともその人にとっては。なのでこの解釈が絶対正しいなんてこと絶対ありえません。僕はこの曲を聴いて今年のお盆を過ごせてよかったなと思います。

今日は実は偶然にも送り盆その日です。京都では今日、五山の送り火ですね。五山…五輪…?(さすがに違います笑)

ご先祖様、どうかお気をつけてお帰りください。また会いましょう。ラ〜ル〜ラ〜リラ〜。